なぜ終末期医療にこだわるのか

雪 終活

以前、在宅のケアマネージャーであったとき、羨ましいほど仲のよいご夫婦に出会いました。

時代もあるのでしょう。

ご主人は亭主関白そうな様子で、優しい奥さんがいつも寄り添って支えておられました。

仕事柄、ご主人に終末期医療の選択について相談したときも、彼は迷いませんでした。

「僕のために言ってくれているのも、それが大切なことなのもわかるけれど、今、自分はリハビリを頑張ってよくなりたいと思っている。正直あまり考えたくないなあ。」

彼らしい結論だと思いました。

私は自分の思いはそっと横に置いて、その日は他の話をして帰りました。

帰りがけ、奥さんが声をかけてくれました。

「本当にごめんなさいね。あの人あんな頑固で。考えたらいいのにね。」

と。

「いえいえ。ご主人らしい正直なご意見をいただきました。また相談させてください。」

と答えて帰りましたが、「また」はありませんでした。

その数週間後には、大きな心臓の病気で倒れられ、救急搬送されたのです。

命を救うために大きな総合病院であらゆる手が尽くされた様子でした。

面会に行ったリハビリの先生は、

「全身が浮腫んで、正直誰だかわからなかった。声もかけられなかったよ。」

という状況でした。

その後、奥さんから

「本人があまりに辛そうなので、治療を止めてもらうことは可能なのか」

という相談を受けました。

病院の地域連携室で相談しました。

ちょうど直前にACPについての研修を受け、

「この考え方は重要だ」

と思っていた私は勢いよく相談に行きましたが、ソーシャルワーカーは冷静でした。

「そんな判断、できるわけないじゃないですか。」

「病院は治療するところですから。」

ちょうどそのとき、奥さんも息子さんに相談し、

「親父を殺すのか。そんなことは絶対にできないし、したくない。」

と言われ、憔悴しておられました。

なすすべもなく、数週間後にはお亡くなりになりました。

私は奥さんに合わす顔もなく、しばらくお参りにも行けませんでしたが、数ヶ月後、勇気を出して、また、あまりに気になっていたのでお家に訪問しました。

奥さんは留守で、変わって出てきてくれたお嫁さんから、奥さんがうつ病で入院されているのを聞きました。

あまりにショックで、むしろ冷静を保ってお話ししたのを覚えています。

本当に仲の良い、人の良いご夫婦でした。

こんなことが繰り返されてはいけない。

何度も思い出す出来事です。

死は、誰にでも訪れます。

死は「縁起の悪いもの」と、避けてはいけないのだと気が付きました。

今生まれた赤ちゃんも、いつかは死ぬのです。

だからこそ、生きていることが希望なのでしょう。

死を受け入れて真正面から考えること、死の瞬間を想定して、相談をしておくこと。

医療従事者、介護従事者に限った話ではなく、誰もが考え、話し合うべき課題だと今は思っています。

その選択は、自分自身を救い、自分の代わりに判断する、自分の大切な人を救うのだと思います。

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