新米ケアマネージャーが見た療養病棟

湖岸の風景 終活
湖岸の風景

温かみのある、パステルピンクと白い病棟でした。

10年くらい前の話です。今より若く、新人ケアマネジャーとしてやる気満々だった頃、在宅支援をしてきたおばあさまが、長期入院された直後にお見舞いに行った日のことを、今も、鮮明に覚えています。

認知症が進行し、生活全般に介助が必要となっていたその方は、当時90代の夫と2人で自宅で生活することは困難と思われました。

笑顔の可愛らしい、朗らかで明るい優しい方でした。

田舎らしい広いご自宅で、お料理もこなされる器用なご主人は、献身的に介護をされていましたが、ご本人の転倒や発熱などが続き、また、ご主人の体調も思わしくなく、当時の入院が決まりました。

病院に入院できてよかったと新米の私は考えていました。

お見舞いして、その方を見た時、私の思いは後悔に変わりました。

点滴が不快で、引っこ抜くというのでパステルピンクと白のミトン(手袋)をはめさせられて、力なくベッドに横たわっていました。

その方はそのミトンをはめた手をパタパタと動かしながら、

「なんでここに居るんやろ。」

「ウチに帰りたいなあ〜。」

「おじいさん(夫)はどうしてはるやろうか。」

「なあ、〇〇さん」

と、私に訴えるのでした。

認知症の影響で、その方は色々なことを忘れていかれましたが、なぜか随分認知症が進行しても、私を覚えていてくださいました。

それがまたつらかった。

そして、この出来事はまだ入り口でした。

その後、私はケアマネジャーとして自分が施設や病院を調整するたびに、可能な範囲で面会やお見舞いに行きました。

なぜなら、在宅のケアマネージャーとして支援した先にある、施設や病院での生活を見届けることも大切なのだと、この時強く感じたからです。

その環境変化の調整役が自分だったからこそ、重い責任を感じました。

自宅が最高で、病院がつらいという話ではありません。

自宅の状況に問題があり、本当に病院に入院できてよかったと思われた例もたくさんありました。

ただ、その視点はあくまで支援者の判断基準です。

「ご本人がどのように過ごしたいのか」

「ご本人がどこで過ごしたいのか」

ケアマネージャーは、本来はご本人の代弁者であるべきだと言われています。

「自宅か施設か病院か」

判断力が低下し、認知症が進行した高齢者と、支援者はこの狭い3択の中で、ただただ翻弄されているように見えました。

その後経験を積み、自宅の環境を変えていけること、施設や病院もさまざまな場所があることなど、以前よりは幅広く考えられるようになりました。

ただこのような難しい問いの答えを、できるだけご本人の思いを形にするために、考えることをやめないで精進していきたいと、今もそのおばあさまの姿を思い出します。

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